
子どもの日に子ども部屋を考える
5月5日ですね。
我が家でも、上の子どもたちが幼いときは「子どもの日ケーキ」を買ってみんなでろうそくを吹き消したり、動物園や水族館に行ったりしていましたが、現在は長男が気仙沼で寮住まい、連休で帰省していた次男も愛知の寮へ戻る日でした。
次男の乗る新幹線をみんなで見送り、帰宅。
↑これは隣に停まっていた別の新幹線。連結してて「おお!」と思って思わず撮影。
あまり新幹線になじみがないので、テンション上がるんです・・・道産子なので・・・
いつも憎まれ口ばかりの三男もさすがに少し寂しそう。
2階に、やけに整頓された2部屋が、しーんとしていて
ほんの少しだけ、「子ども部屋を作らなくてもよかったな」なんて、考えてしまいました。
小さくていいから、それぞれに子ども部屋を・・・
と、当たり前に思っていました。
でも、当たり前は、変わるんですね。
子どもはいつまでも子どもじゃないし、よく考えてみたら、TVやPCは子ども部屋に無いので、いつもだいたいみんな1階にいたような気がするし。笑
よく考えなかった自分(と、夫)がもちろん一番反省すべきですが、もしもひとこと
「子ども部屋、そんな完全個室じゃなくてもいいんじゃ?」って言ってくれたら。
考え直してたのかなーなんて、思いました。
そしたら全然違う家になってたのかなー。想像するのは、楽しい。
もしも零だったら、「あえて子ども部屋を作らないの、どうですか?」
って、言ってくれたかな・・・(多分言ってくれた)
たくさんの家族がいて、それぞれに暮らしかたがあるので、我が家のケースはほんの一例ですが
「知らなかった」ことで、選択肢とか、自分の中に無かった考え方とか、それらを得られるチャンスそのものを逃してしまったんだなーと思ったりします。
もちろん、子どもたちに壁紙を選ばせたり、楽しい思い出もたくさんあります。
それに、我が家の場合は三つの子ども部屋に4人の子どもという事態になったので、四男坊は部屋を選べていいね。くらいに前向きに? 考えていますけれど・・・笑
今はちょっとだけ、寂しい子どもの日。
なのでした。
高山 裕佳