2018.01.19

生きる 暮らしを守る 人間らしく生きる

お疲れ様です。
疲れてないけど。

オノ@ゼロです。

知人がfacebookでシェアしていた内容がとても考えさせられたので、
少し自分の考えを自分なりにまとめてみました。
今、オーストラリアから広まって、世界中でシェアされているそうです。

必要な日本語の本文だけを抜粋。

 

 

 

『ホーリーから、人生のちょっとしたアドバイス』

 

 

26歳という若さで、死と向き合い始めるというのは少し珍しいことかもしれません。

なぜなら、多くの人はこのことに目を背けて生きているからです。

毎日は当たり前のように過ぎていきます、まるでそれがずっと続くかのように。

 

 

私もいつか歳を重ね、シワができ、白髪になることを想像していました。

他の多くの人がそう考えるように、たくさんの子どもに囲まれ

愛に溢れた家庭を築くことをいつも考えていました。

しかし人生は儚く、貴重で、予想できないものです。

毎日を生きることは、与えられた権利ではなく贈り物なのです。

 

 

私は27歳です。

まだこの人生を終わらせたくない。

私は自分の人生を愛していて、とても幸せなのです。

でも、もう私にはコントロールすることはできません。

 

 

私はただみんなに、些細で意味のないようなことにあまり心配しないで欲しいのです。

そして覚えておいて下さい。

最後にはみんな同じ運命が待っているということを。

なのであなたの時間を、価値のある素晴らしいと感じることに使って欲しいのです。

嫌だと思うことはしなくていいのです。

 

 

些細なことには寛大でいてください。

もちろんイライラすることはあると思いますが、引きずらないでください。

そのようなことで、周り人々の人生に悪い影響を与えないようにしてください。

イライラしてしまう時は外に出て深呼吸をして、新鮮なオーストラリアの空気を

胸いっぱいに吸い込んで下さい。

そして空の青さを、木々の緑を見てください。それらはとても美しいものです。

考えてみてください。

呼吸ができること、その素晴らしさを。

 

 

もしかしたら今日、渋滞につかまってしまったかもしれませんね。

あなたの愛おしい赤ちゃんが泣きわめくせいで、よく眠れなかったかもしれません。

美容師があなたの髪を短く切りすぎたかもしれないし

変えたばかりのネイルが欠けていたかもしれません。

自分の容姿が気に入らない人もいるかもしれません。

 

 

しかしそれらのことは些細なことです。

あなたが人生の終わりを迎える時、そんなことは考えないと断言できます。

人生全体で見れば、これらのことは本当にどうでもいいことです。

私の身体は日を追うごとに、どんどん痩せ細っていきますが

私の願いは、もう一度だけ家族と誕生日を過ごしたい

もう一度だけクリスマスを迎えたい

もう一度だけパートナーと過ごしたい

それだけです。

たったもう一度だけでいいから。

 

 

仕事がどれだけ大変だったか、エクササイズがどれだけハードだったかなどの

不満を訴える人がいますが、まずは身体が満足に動くことに感謝してください。

たとえ理想の体型でなかったとしても、健康でいられること

身体が機能すること、それだけで素晴らしいことなのです。

食べ過ぎに注意して、適度に運動をし、新鮮な食事で十分な栄養を与えてください。

 

 

そして、お互いを助け合いましょう。

 

 

与えて、与えて、与えるのです。

他者に与えることで得られる幸せは、この上ないものです。

私ももっとそれをしたかった。

病気になってから、多くの人が私をサポートしてくれました。

とても返しきれるものではありません。

そのことを私は一生忘れないでしょう。

 

 

あなたが死ぬときにお金を持っていてもなんの意味もありません。

自分の服を買う代わりに、誰かのためにそのお金を使いましょう。

あなたが同じ服を着ていても、誰も気にしません。

何より大切な人を食事に連れていったり、贈り物をすることは気持ちの良いことです。

その際に、大切に想っているという気持ちを伝えましょう。

 

 

自分のためにお金を使う際は、モノではなく経験に使いましょう。

ビーチに行って足を水につけ、つま先で砂を掘り、顔を海水につけてください。

自然を感じてください。

携帯の画面ばかり見るのではなく、ただその瞬間を楽しむようにしてください。

人生とは画面を通して生きることではないし、完璧な写真を撮ることでもありません。

大切な人との血の通う時間を大切にしてください。

 

 

早起きをして、鳥のさえずりに耳をすまし、朝日の美しい色を眺めるのです。

 

音楽を聴いてください。音楽はセラピーです。

 

犬を抱きしめてください。

 

携帯を置いて、友達と話をしましょう。

 

旅をしたいならしましょう。

 

生きるために働いてください、働くために生きてはいけません。

 

心が幸せに感じることをしてください。

 

ケーキだって食べていいのです。何の罪悪感もありません。

 

やりたくないことには、やりたくないと言いましょう。

 

他の人が考える理想の人生にプレッシャーを感じなくても大丈夫です。

 

平凡な人生を望んでも全く構いません。

 

愛する人に、毎日愛を込めて、愛していると伝えましょう。

 

 

そして覚えていてください。

もし何かが、あなたを惨めな気持ちにさせているなら

ーそれが仕事や恋愛など何であれ

あなたにはそれを変える力があります。

変える勇気をもって下さい。

この地球であとどれくらい生きられるか分からないのだから

そのようなことで時間を無駄にしてはいけません。

多くの人が同じことを言っていますが、これ以上の真実はないと思います。

 

 

とにかく、これは一人の若い女性からの人生のアドバイスです。

覚えていてくれても、忘れても、私は構いません。

 

 

あと最後に一つだけ、もし可能なら定期的に献血をしてください。

見過ごされがちだけど、一回の献血で3人の命が救えるのです。

これはすべての人が持つとても偉大な力です。

献血のおかげで、私は一年間も長く生きることができました。

大切な人たちと過ごすことができたこの一年間を、私は一生忘れません。

それは、私の人生で最も素晴らしい一年でした。

 

 

それでは、また会う日まで。

 

 

ホーリー

 

 

 

転載ここまで。

 

気付かされるのは、今ここにある感謝ですね。
どうしても不満ばかりが気になってしまいますが、
今当たり前に目の前にあることへの感謝は忘れてしまいます。
「幸せは掴み取るのものではなく気づくもの。」

で、もう一つ違った角度から。

その当たり前の幸せを奪われている人たちもいるということ。

この女性の住んでいたオーストラリアもニュージーランドもアメリカも、
元いた原住民の幸せを奪って白人が入植して作った国です。
なんとなくですが、この女性も白人のような気がします。

日本ではあまり報道されませんが、
現在進行形で中国やロシアが世界中で人々の幸せを奪っているのも現実ですよね。

 

そんな事を止めるために、一所懸命「仕事」を頑張っている人もいると思います。

そもそも「仕事」に対する捉え方が

「生きる為に必要なお金を稼ぐ事」

というレベルであれば、「その仕事のために生きるのはヤメましょう。」、となると思います。
そこはすごく賛同します。

しかし、本当に「仕事」ってそんな程度のものなんでしょうか?
そ日々の日銭のためだけに世のお父さんお母さんは頑張っているのでしょうか?

そうだとしたら寂しいですね。

そうだとすれば本文の
「生きるために働いてください、働くために生きてはいけません。」
という言葉が成り立ちます。

 

「ソーシャルビジネス」
という言葉があります。

ビジネスを通じて社会の問題解決のを図る

という意味だそうです。
最近もてはやされている言葉なようです。

そもそもこの言葉が特別にもてはやされるという事は
本来仕事はそうではない、という考えがベースになっているのだと思います。

私はこんな言葉は本来なら必要ないくらい当たり前の事だと思うのですが。

「自分の為に人生を生きなさい。」
「自分のやりたい事を見つけなさい。」
「人生は一度きり。やりたくない事をやっている時間はありません。」

これらの言葉は間違っていないとは思います。
しかし、「自由」「権利」を必要以上に徹底的に教え込む狂ったアメリカ新自由主義ベースの現在。

先日の芸工大の三浦先生の講義で気になったのは、

若者のアンケートの結果
「将来出世したい自分のイメージは?   課長。(部長以上にはなりたくない。)」
「将来の自分の希望する年収は?     1200万円」

自由・権利主義教育の賜物ですね。

 

社内外、若者たちが

「自分のやりたい仕事が見つからない」

と、自分探しで悩んでいます。

当然この子たちが悪いのではなく、
大人たちがそう教え込んできた事の犠牲者だと思います。

目の前の仕事を通して社会のために役立っている事の充実感。
努力して成長して、掴み取る事の豊かさ。
人を育てるという幸せ。

刹那的な目の前の幸せから脱して、
未来を見据えた厳しさの中にある豊かさを見て、
そこから一周して帰ってきて

「いま・ここ」

に戻ってくるからこそ見えてくる気がします。

ま、持論ですが。。。

今日は朝から長文が過ぎました。
反省します。

 

おしまい。